エクスカイザーを見て童心に帰れる気持ちになったワケ
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勇者シリーズ一挙公開!!
おめでとうございますッ!!
懐かしいですね、勇者シリーズ。
僕が小さい頃は流石にエクスカイザーとまでは行きませんでしたが、マイトガインとかやっていた記憶は覚えていますね。
大体アラサーの人たちからしたらこの響きを耳にしてチャンネルに足を運ぶ人も多いのでは。
さて、正直上述の通り、私は勇者シリーズは初代作品のエクスカイザーは見ておりません。
そこで自分なりに初見の感想と。
勇者シリーズとして制作陣の人たちが何を意識していたのだろうという妄想を繰り広げながら、持論を述べてみたいと思います。
ようは語りたいだけなんですよ、ええ。
オタクなんてそんなもの。
雑感
まず、話のテンポや作りに余裕があるように感じます。
主人公も性格や能力もなくごく一般的な小学生。
本当に敵メカも一体だけ。
エクスカイザーもごく普通に必殺技もなく機転を利かせて戦うのみ。
周囲の登場人物も極端に性格を見せるのではなく、あくまでも自然にプロローグとしてキャラ紹介程度に出演を収めるのみ。
すっごい見やすいんですよね。
改めて最近のアニメと比べて見て、
「何で今のアニメってこんなに疲れるんだろう」
と感じてしまいました。
いやもう、シンプルに情報過多過ぎるんでしょうね。
最近のアニメって13話とか26話とかで放映しますよね。
少しでも多く様々なアニメを放映するためか、密度が濃いです。
ものすごい演出で詰めて、ギュッと話をカットして必要なところだけ残した作品が多いような気がします。
ですが、このエクスカイザーは勇者シリーズ第一作です。
まだまだ実験的な試みも多かったことと思います。
新たな切り口としての骨組みや定番を築く意味では、シンプルなプロローグでも十二分に役割が満たされているのでしょうね。
玩具も含めた展開ですから、ロングスパンを見込んでシナリオ運びも敢えて余裕を持たせて話を保たせる配慮もあったかもしれません。
子供の視点がメイン
次に感じたのが、シナリオ全体に幼少期のあるあるな要素が目一杯詰め込まれている点です。
※ここら辺は個人の解釈が強いですがご了承下さい。
①大きいものはカッコいい
遠足に行く場所が恐竜博物館。
純粋に子供って大きいモノとかに憧れる傾向にあると思っていまして。
何故か大きいほど強くてカッコよく見えてしまうんでしょうね。
恐竜もそうですが、勇者ロボも大きいんですよね。
大きいモノがヒロイックな行動をすることで、その存在がより強く見えてくるのかもしれません。
②大事な物を持っている
主人公は、おじいちゃんの形見のカメラを持ち歩いてます。
何でもそうですけど、子供って何かしら大事なものを取っておいたり捨てずにとっていますよね。
僕も小さい頃に何故か拾った石とかを妙に綺麗だから取っていることが。
形見だというのももちろんですが、自分にとっての宝物なら、何が何でも手放さないのが子供によくありますよね。
③壊れたものが戻る嬉しさ
子供の時に誤って落として玩具を壊したりして、あれすごいガッカリしますよねえ。
何より後悔しました。何で落としたんだろうと。
妹のゲームボーイを落としてスピーカーを壊したのを思い出しました……
妹よ、すまない。
それがしかも形見だとなると余計に悲しくなるし、多分数日は布団に包まって凹んでると思います。
それをふしぎなちからで完全に修復してくれるエクスカイザーは、さぞかしかっこよく見えるでしょう。
絶対に戻らないものを戻せるという、子供の夢を持っているわけですから。
④秘密を共有するエクスカイザー
内緒だよ、って言われるとその子供は自分が特別な存在なのだと自覚して、スペシャルな自分と同等に格上げされた気分になり、嬉しくなることがあるように思います。
それがもし、世界を救う(かもしれない)ヒーローに「私と君だけの秘密だ」と頼まれたとしたらどうでしょう。
いい大人なら話のネタにするかもしれませんけど。
純粋な子供なら固く守ることで、相手との関係を立ちたくないと思うかもしれません。
トランスフォーマーとの違い
で、ここまで書いて思い出したのが、トランスフォーマーとの関連性です。
確か勇者シリーズは、トランスフォーマーシリーズを元にして作られた作品群だったかと。
ドラマを生む要素その①
ただ、トランスフォーマーと勇者シリーズとの違いがいくつかあると思いまして。
まず、人とロボットとの描写バランスです。
私もあまり細かく作品比較して見てるわけではありませんが。
トランスフォーマーはあくまでもサイバトロンやデストロン達との戦いの中で触れ合う地球人たち、と言うバランスで。
勇者シリーズは地球の主人公達やロボット達の日常と、その比率がそれぞれ際立つようにメインシナリオが構成され。
反面、敵ロボット側は作戦遂行までの流れがかなり簡略化されてわかりやすくなりました。
トランスフォーマーが個人的所感で人:正義ロボ︰敵が1:5:4くらいだったのに対して。
勇者シリーズは同様の所感で4:4:2位で、人とロボットの友情や信頼関係がよりわかりやすい構造になりました。
ドラマを生む要素その②
また、主人公とメインロボとの親密度を高める要素として。
エクスカイザーが変形する車両が主人公宅の車になるなど、よりお互いの距離を自然に近づけるモノに擬態してます。
今までのトランスフォーマーではその世界観の車両に擬態する、と言う選び方でした。
ただ、あくまでもサイバトロン達は「地球の車両に擬態し変形する」と言うスタンスなので、様々な場所に散らばるために、人との絡みが少なかったです。
勇者シリーズでは、主人公とそのロボが距離が近づいた事でよりドラマ性が生みやすいと言う基本が出来ました。
子供と大人の目線で繰り広げられる広い世界観
これらも踏まえて、子供がメインに据えられた理由も考えていきます。
まず、子供という制動力の塊がストーリーを動かすシナリオ構造。
これぞまさに王道です。
子供が興味本位で何かを触ったり。
話しかけてみたり。
子供ならではの観察眼があったり。
常識という概念が固定化されていないがために正解がないし、気になったものは気になる。
その本能が光ることで様々なものに関心することで話が進んでいきます。
これが大人たちだった場合、思いの外ストーリーが動かないはずです。
何事にも慎重になるほど人生経験を積んでるから。
恐竜が動いていようが、「そんなのアトラクションの一環でしょ?」と片付かれてしまいがちです。
ロボットが暴れているというと「映画の撮影か!」とか言って非現実的なものを現実に置き換える思考に働きがちです。
だから成長した大人の繰り広げるストーリーは現実的です。
それらは当然冷えた目で見ているために重たく、思考を中心に進むものばかりです(刑事もの、サスペンス、ミステリーなど)。
また比較して、大人を中心にしたコメディものは一気にキャラ崩れがあって子供らしい動作が強くなるものが多いです(究極超人あ~る)。
ただ、もちろん子供たちがメインではストーリーは破綻してしまいます。
だって、常識がないのだから。
勇者シリーズはここに大人を加えることで、ストーリーの進行に対するブレーキ兼解決役を持ってきています。
主人公が危ないとなったら当然守るし、主人公の発想に対して応える姿勢を見せるし。
後年ではマイトガインやダグオンという主人公を中学生・高校生といったの上の年齢層に寄せたり、ジェイデッカーやガオガイガーなどの組織に属する大人たちを配備させるなど、立ち位置を織り交ぜながら新たな年齢層への開拓をしていくことになります。
今作における大人とは、もちろんエクスカイザーを中心にしたカイザーズ。
ガイスターたちが起こした事件や異変にコウタが気づき、カイザーズたちが駆けつけ窮地を脱する。
その立ち位置は、まさにヒーロー。
子供にしか気づけない問題と、解決してくれる頼れる大人たち。
それは、僕らが当時の夢にサッカー選手や野球選手を掲げるのと近いもので。
出来ないことをやってのける頭脳と経験値、そして行動力に、実現するためのあきらめない心。
今でもこの作品群が忘れられないのは、この勇者シリーズのコンセプトがあの時幼心に感じていたロマンそのものを大事に守っていたからなのだと思います。
あとがき
何で勇者シリーズ8年で終わってしまうん?
Wiki見ていたら、ガオガイガーで終わりは知ってましたけど、あまりに短すぎるんですよ。
ただ、出生率の低下から子供がロボット物を見なくなって顧客対象にしていた年齢層が離れていったという記述を見て、
「ロマンだけじゃ食っていけないのね」
と、受け止めざるを得ませんでした。
ただ、その当時の勇者シリーズがあったからか、近年のサンライズで配信が決まったり、何より抜群のプロポーションによる玩具化も続々。
ブルーレイBOXも発売されるなど、8年という短い期間の中に残した偉業は大きいものなのだと感じます。
このブログではこんな風に暇つぶしでただ語りたいだけのブログを適度に作っていきます。
また暇つぶしに来てくれたら幸いです。